当山の歴史

寛永五年 金映山妙護国院三寳寺 開闢

当山は寛永5年(1628年)右大臣菊亭(今出川)経季卿と中納言今城(冷泉)為尚卿が後水尾天皇の御内旨を受け中正院日護上人を御開山に迎え建立された日蓮宗 中本山で、「金映山妙護国院三寳寺」の号は後水尾天皇より賜ったと伝えられています。

爾来、大いに栄え塔頭寺院は十二ヶ寺を数え、開山日護上人、二祖日英上人、三祖日逞上人の学徳を慕って笈を負い来る者、また文人雅客の杖をひく者数多くありました。 特に茶道宗徧流の流祖山田宗徧(1627~1708)は若年の時、東谷の塔頭「凉池院」に住し茶室「四方庵」にて茶道に専念しついにその奥義を究めました。後年彼は江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで有名です。

現在その「四方庵」旧跡には十世山田宗徧家元によって記念碑が建てられています。

幕末維新の変動と堂上貴紳の東上等により一時衰微荒廃をみましたが、昭和天皇の即位式の建物を下賜せられ本堂とし、また妙見堂改築、大黒堂再建をはたし寺観を整え現在に至っています。

境内には宝暦年間に京都御所菊亭家邸内より根分け移植された名桜「御車返しの桜」があります。

その名のとおり余りの美しさに帝が車を返したと言われる名桜で毎年美しい花を咲かせ見る人の心を豊かにさせてくれています。この「御車返しの桜」は市民に親しまれ後世に残す価値ある樹木として平成16年京都市より「保存樹」として指定されました。
同じく境内の枝垂れ桜は円山公園の枝垂れ桜と姉妹の名桜です。

境内の中心にある楊梅(やまもも)は樹齢七百年の古木で「御車返しの桜」と共に平成9年に京都府より「府民の木」に認定、親しまれています。

右大臣菊亭(今出川)経季卿と中納言今城(冷泉)為尚卿が後水尾天皇の御内旨を受け中正院日護上人を御開山に迎え建立。

本堂

昭和4年「昭和天皇」御即位式の建造物を一棟下賜せられ、これを移築し本堂としました。

昭和56年宗祖日蓮大聖人七百遠忌の折、増改築等の大修理を加え寺観を整えました。 堂内には日蓮大聖人、日朗上人、日像上人の御真骨を奉安し、開山日護上人御作の釈迦如来・多宝如来・日蓮大聖人・子育鬼子母神・七面大明神等をお祀りしています。

大黒堂

福徳の神・三面大黒福寿尊天をお祀りしています。

伝教大師御作にして日蓮大聖人比叡山御遊学の折、開眼入魂の三面六臀の秘仏大黒尊天で六十年に一度、甲子の年に御開帳されます。大黒尊天初講会や六十日毎の甲子祭は遠近よりの信者で賑わいます。

現在の御堂は平成7年に再建。

妙見堂

人間の運気と方位、寿福を司る北辰妙見大菩薩を祭祀しています。

開山日護上人の御作で江戸時代初期より「洛陽十二支妙見」の「戌の妙見さま」として開運厄除け、方除け、寿福の神様として尊信せられ「鳴滝の妙見さま」また願が叶うところから「満願妙見宮」と親しまれています。

特に戌歳生まれの人の守護神として、また戌が安産に通じるところから安産祈願所としても有名です。

現宮殿は昭和47年再建、参道両脇の「花梨」の木は東宮御所より下賜せられ根分けしたものです。

千体佛堂

六尺坐像の釈迦佛を安置し周囲に三寸立像の釈迦佛壱千体をお祀りしています。

仏像は悉く開山日護上人晩年の御作で中尊の釈迦像は上人作中秀逸のものです。世に「世継ぎの釈迦佛」と言い、「子無き人この仏に願えば授かる」と尊信されています。

現在の御堂は昭和59年再建。

縁結びの塔

豊臣秀頼、淀君、国松丸の供養塔でいつの頃からかこの塔をなでさすり願えば良縁を得、早く嫁ぐことが出来ると信仰されています。

菊亭経季卿の夫人「古奈姫」は秀吉の側室淀君の姪(古奈姫の養母常高院は淀君の妹)に当たるところから、この供養塔は古奈姫が建てたと考えられてます。

茶室「松宝庵」

忠臣蔵赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え主君の仇討ちを助けたことで有名な茶道宗徧流流祖山田宗徧が当山で茶道の奥義を究めた故事を顕彰して建てられた茶室。

茶室「松宝庵」より遠くは伏見桃山城や京都市内が一望出来、騒々しい世界から緑と静けさが別世界へ導いてくれます。

茶室「松宝庵」使用ご希望の方はお気軽にお申し込みください。

納骨墓所「蘇生廟」

「蘇生廟(そせいびょう)」は一生独身でおられる方、お子様の無い方、身よりの無い方等 色々な事情で墓地を持たれない方のお墓です。

従来この種の供養塔は納骨者の法名や名前を書く所が全く無い為、知人の方がお参りされても供養の実感に乏しく、また納骨を願う人にとっても墓地のイメージに程遠いものでした。

当山の蘇生廟は「法名石版」に法名、俗名等を記入し、半永久的に 納骨者の菩提を弔うものです。

パンフレット送付致します。お気軽にお申し込み下さい。

納骨のみ 二十五万円
法名石版に法名等を記入し納骨 三十五万円。

三寳寺へのアクセス

中本山 三寳寺(さんぼうじ)は寛永5年(1628年)右大臣菊亭(今出川)経季卿と中納言今城(冷泉)為尚卿が後水尾天皇の御内旨を受け、中正院日護上人を御開山に迎え建立された中本山で「金映山妙護国院三寳寺」の号は後水尾天皇より賜ったと伝えられています。

境内には宝暦年間に京都御所菊亭家邸内より根分け移植された名桜「御車返しの桜」があります。